Global Healthの世界で働く経営コンサルタント

Global Healthの世界で活躍する

良い仕事したければどっかで丁稚奉公・修行が必要だという考え方は、古くさくなんてない。

話の始まりはこうだ。

 

親戚の大学院1年生の男の人のInstgramが異常にかっこよかった。シーズナルスポーツをしながら、かっこいい音楽を後ろにかけて、本当に今風で、音楽のPVみたいだった。彼は士業になることが一般的な学科に所属をしているが、資格試験を受験したくないと聞く。家族は裕福で、親も兄弟もみな彼の才能を信じており、将来を応援している。行きたければ留学してきたらどうだ、とけしかけている。傍から見て、大変恵まれた状況だと思う。おまけに、見目も麗しい。

 

そこで、僕は思った。

(本人とは話していないが)彼はこのまま、かっこよくスマートに生きていけるのだろうか?(反語です)

プロフェッショナル領域でのチャレンジ(この場合は資格試験)を避けて、いい仕事ができるのだろうか?いい仕事ってなんだよというのはあるが、僕の中では、その業界でプロと呼ばれる人が認めるような仕事のことを指す。

 

仕事を始めて最初の数年は、泥臭い努力や長時間労働、アウトプットに厳しい上司のフィードバックなんてものとは無縁で行きたいかもしれないが、それじゃ結局能力は伸びないし、一流にはなれないと自分の経験から思う。

自分の能力が一番伸びたのは、(a)厳しくもやりがいの感じられるPJT x (b)尊敬できフィードバックをくれる上司 x (c)打ち込める環境 x (d)PJT終了後の内省と360度フィードバックだった。

この(a)を得るためには、社内での高評価が、(b)を得るには、その上司から認められること、そしてそのためには、単にアウトプットを出すだけではなく、それまでの仕事への熱意や執着や成功するための本気(そしてできないときはそれが長時間労働になってしまう)が、(c)のためには、己の私生活を律することや、応援してくれる家族・友人・配偶者が必要である。(d)は単に習慣の問題かもしれない。

僕自身は、スマート、傷つきたくないというアティチュードで働いていると、上記のものを得ることは出来ないと思っている。

 

昔読んだ、矢沢永吉さんと糸井重里さんの対談でこんなことを言っていた。

 

「偉くなりたくないと、それでもいいけど、40になって50になっても同じこと言えんのか?後悔しないか?そして、それを国や他人のせいにするなよ」(だいぶ意訳)

 

僕は、Generation Zの人からすると完全にもうおじさんだとはわかっている。

Gen Zの人の想定する、幸せな人生というものもきっと僕とは違うだろう。でも、どんなに世代が変わっても、変わらない人生の真理みたいなものはあると思っている。

 

ぼくなりに今考えているのは、以下の真理である。

  • 成功は複利で効いてくる。
  • 良い仕事の報酬は、次の良い仕事。
  • 他人はあなたに興味なんてない。
  • 出会いは偶然だけど、その出会いを次に繋げるのも、学ぶのも本人の責任。
  • 結局長く続けられることをやっている奴が勝つ。
  • ひとつの出来事の学びを最大化するためには、内省・言語化が不可欠。
  • 修行期間・修羅場経験が人を次のステージに連れていく。
  • 配偶者によって本当にキャリアの飛躍できる割合・健康は変わる。
  • お酒・たばこはほどほどに。
  • 運動と筋肉は正義。

人は結局できると思ったことしかできない。

留学が終わりに差し掛かり、就活も終盤戦である。

 

僕は留学のために、数年働いた経営コンサルティング会社を退職した。その会社は、僕が働いている間、常に”東大生の就職したい企業ランキング”Top10に入るような人気企業で、社員もみな、とても自社に誇りをもって働いていた。

 

僕が辞めると伝えた時の反応で今も憶えているものがある。

・一番お世話になった人

「お前は絶対に後悔するし失敗するぞ。そんな甘い考えで会社辞めてどうするの?これからもちょっと働いては辞めてってのを繰り返すのか?」

「絶対に意味がないよ。おれにはわかる。MBAなんていったってしょうがないんだから、コンサルで働けよ。」

 

・それなりにお世話になった人

「(国際機関で働きたいと伝えたら)えっ?〇〇君(僕のこと)、そんなところで働きたいの?△△さんみたいに、そういう目標で日本で博士課程に通っている人とかならともかくいけるのかな。まあがんばって」

 

・たまたま飲み会で一緒になった同じ部の人

「〇〇君(僕のこと)ってすぐやめそうだよね?なんか全然それで活躍とかしなさそう。」

 

・ほかにもお世話になった方々

多分、頑張れとかそんなこと言われたのかなあ。あまり覚えていない。

近くに住んでた仲良しの先輩は残念そうにビールで見送ってくれた。また、同い年の大先輩はとても寂しそうだったのを覚えている。

 

少なくとも僕の記憶では、心から僕のチャレンジを応援してくれた人は社内にはとても少なかった。そして今も記憶に残っているのは、自分がとても信頼していた人から全く応援されなかったという事。

 

でも、もうすぐ卒業というタイミングで心から思った。

僕は、まったく後悔していないし、本当に留学をして良かった。グローバルなレベルでハイレベルに働きたい、国際機関で働きたいって思った時に、当時の自分がコンサル勤務を続けても絶対にたどり着けなかったのは間違いない。でも、今の僕は、もう手を伸ばせばそこに届きそうなほど近づいてきている。そして、憧れの組織の中の人と話しても、自分の経験や学歴はすでに十分エントリーポイントに立てるレベルには達しているのだ。

 

ここで、タイトルにたどり着く。結局人は、どんなに能力があったとしても、自分が想像できる範囲のことしかできないんだ。逆に、自分ができるって思い描いたことは、たいてい何とかなってしまう。そういう生き物なんだってこと。今までの人生で僕より能力がある人なんていっぱいいたけど、彼らが僕よりインパクトをこれからも出し続けられるとは正直思わない。なぜなら、彼らのほとんどは既に現状に満足し、停滞する日本で幸せに生活することに満足しているからだ。(それが悪いとは言っていない。僕が嫌なだけで)

 

今後も、誰に何を言われても、自分の直感とか妄想を信じて、それを形にしていこう。そうやってしか、人は成長していかないし、自分の能力の限界を突破していくことは出来ないんだから。

MPH(公衆衛生大学院)卒業間近に迫り、就活と学業に追われている。

1.ざっくり今の気分

コロナの影響で3年間(当初の予定は2年)続いた大学院生活が遂に終わる。長かった。。こんなに長く学生をやるとは思ってもみなかったし、まさか半分以上の期間オンラインで教育を受けることになるとは全く想像もしていなかった。録画された授業を毎日数時間見て、用意された宿題を解き、たまに思い出したかのように大学で授業を受ける、慣れたとはいえ、こんなはずじゃなかったという想いは今もある。が、これがコロナ禍の現実なので受け入れるしかないだろう。

 

2.現状とこれから

学業面では、もはやGPA(成績)はどうでも良く、卒業要件を満たすことだけに邁進しており、就活により多くの時間を割いているのが現状である。このままうまくいけば、国際保健の世界でポジションを得ることが出来そうなところまで来た。


3.センチメンタルな振り返り

思えば遠くに来たものだ。学部卒業後、最初の会社で働いていた時には、いつか国際協力の世界で働きたい・いつかロンドン大学のMPHに留学したい・いつか途上国のために働きたい、そんなことを考えていた。紆余曲折を経て、あれから10年。やっと、ここまで来た。既に昨年、本格的に国際業力業界に足を踏みいれ(それ以前からコンサルタントとしては関わっていたが)、ロンドン大学ではなくアメリカの大学でMPHに留学も果たし(おまけにMBAも取った)、そしてまたすでに途上国のためにはコンサルとして数年働いた経験を持ち、これからは国際機関で働くための第一歩を踏み出そうとしている。身分はどうなるかわからないが、ほぼ確実に働けるだろう。

 

10年前の自分に言ったらなんと言われるだろうか。「おせーよ」と言われるかもしれないが、この10年間の自分のキャリアには(あまり)後悔はない。世界的な食品メーカーの日本支社で働くことで、いわゆる民間企業(正確にはB2Cの消費財企業)がどう動いているのかを理解できた(し、農水省厚労省の民間への圧のかけ方を学んだ)。3年間しか所属していないが、当時の上長や同僚達が僕にかけてくれた言葉・愛情は今になってありがたく思う(今思い出しても嫌な思い出もいっぱいあるけど)。


2社目の人事コンサルでは、本来は数百万円を払っても受けられないようなコーチングや、トップ企業の役員へのコーチングも傍で見ることができた。この経験は自身のポストが上がるたびにその価値が上がるものだろう。

 

その後、南アジアを中心として、サブサハラ・アフリカ・東南アジア・韓国・そして日本で経営コンサルタントとして働いたことで、多様なチームをマネージしてクライアントを満足させるだけの仕事をする経験も味わったし、各国の保健システムを理解するための泥臭い調査・レポート書きも経験できた。大企業のアジア拠点・インド拠点の再生プロジェクトでは役員レベルに対して成長戦略を提示する中で、中心メンバーとして一定の貢献ができたと自負している。プロジェクト開始前は、本当にこんなことできんの?って思うような仕事も、構造的に理解し、専門書を読み、専門家と話し、現場に赴き、また議論して、ひねり出せば何とかなると思えたことは僕の自信になっている。(大規模な需要予測や、市場規模予想、諸島部の石油市場なんてよくできたと今も思う)業務内容はもとより、最も尊敬している上長からプロフェッショナルとしての姿勢を学べたことが一番の学びである。名言製造機の上長の言葉、今もたまに思い出す。以下一例。

・「戦略案件とか調査案件とか誰が決めたんだよ?仕事のスコープはてめーがきめろよ。調査だけで終わらせて示唆が出せないから調査案件止まりなんだろ」

・「あのな、お前のメールとかスライドは唐突なんだよ。デートだってそうだろ。お茶行ってすぐホテル行かねーだろ?」

・「一流のプロフェッショナルとして働き、超一流と肩を並べてその人たちと働くのがおれたちの仕事」

・「お前、なんて恰好してんだよ。大塚商会じゃねえんだぞ。腐っても経営コンサルタントなんだから、お客さんの所に行かなくってもスーツでびしっと決めて来いよ。」

などなど。忘れられない思い出である。あの時インドに行かなかったらこんな貴重な経験はできなかっただろう。

 

中国のMBAでは、中国語が中級になったこと、そしてまた中国人の友人が出来たことが一番の財産だと思っている。(中国語のレベルは上げるつもり)もちろん授業も楽しかった。コロナがなければ中国・台湾の国内を友人と共に旅行するつもりだったので、それが出来なくなったことはとても悲しい。もっと中国や台湾の文化を知ることができただろう。

 

その後、日本の国際協力機関で1年間働かせて頂いたことも本当にありがたかった。正直採用されると全く思っていなかったから。憧れの組織で、南アジア向けの技術協力プロジェクトや無償資金協力プロジェクトに担当責任者として関われたことは僕の財産である。短期間で複数のプロジェクトの立ち上げに関わらせて頂いた上長には感謝している。留学中にも連絡をもらい、卒業後のポストを聞いてくれたのも本当に有難かった。お世話になった方が一人亡くなったことも、辛い思いでだが、忘れずに記しておきたい。僕の将来を期待してくれていた彼が、空から見守ってくれていると勝手に信じて、彼に誇れるような仕事をしていきたい。ほんとなら日本帰国後一緒にお酒が飲みたかった。

 

そして現在。憧れの大学でMPH学生をしている。入学してからもテンションの波はあり、Ph.Dの人に対して劣等感を感じたり、他の2年生の学生やMPHにいる医師に嫉妬してみたり、自身の持っていないものばかりに目を向け、「しょせんMPH取ったって大したことがない」というヤサグレた気持にもなっていた時期もある。しかし、卒業を目前に控え、この短期間でいかに多くのことを学んだか(消化不良だが)、1年前の自分とは圧倒的に国際保健のトピックに対しての視野が広がったことを実感している。そしてまた、就活においても、憧れの組織の方とお話しした時に、とりあえずは候補者として扱ってもらえる程度には職歴・学歴を積んできたことを誇りに思いたい。残り3か月程度しかない中で、数少ない友人とはより一緒に時間を過ごし、お世話になった先生方にはこまめにお礼を言い、あまり仲良くできなかった同級生にもご挨拶くらいはしていきたい。

 

未だ出願前・中のポストが多いので詳細は書かないが、おそらく6月・7月ごろには次のポストが決まっているだろう。決まったらここで、どうやって就活をしたか、どこに行くか、等書きたいなあと思っている。

2022年正月の簡単な振り返り(R.I.P 大学時代の大切な友達)

元旦・三が日はシアトルの友人家族と過ごしました。浪人生の頃から一緒にライブに行っている年上の友人が、年末年始一人で東海岸にいたら寂しかろうという事で家に招いてくれたのでした。とても楽しかったし、特に海外での子育てについて考えることが多かったです。子供の日本語教育や、日本文化教育等。考えをまとめたいのですが、本日は、三が日以降の生活について。

 

東海岸に戻ってきたから、2週間ほど寝込んでいました。そして、がんの友人にお手紙を書き、散髪をしてやっとスッキリ眠れた翌日。目覚ましが鳴る1時間以上前に目が覚め、胸騒ぎがしました。携帯を見るとLINEに100件以上の連絡が来ており、彼の死を覚悟しました。

 

友人とは2021年9月に最後に日本で会った後、同年12月にも二人でZOOMで最期の会話をしたので、遅かれ早かれお別れの時が来るだろうという事はわかっておりました。それでも、辛くて涙が止まりませんでした。友人たちのLINEを見ながら泣き、起きている友人には個別に電話をして泣き、ご飯を食べる気もせず夜はビールを飲みながら泣きました。末期がんで抗がん剤も効かなくなり、腹水が溜まるようになっていたと聞いていたので年末からずっと覚悟をしていた、その時が来てしまったことが辛い。。

 

もう、みんなで居酒屋でバカ話をすることも、お勧めの音楽や小説をオススメしあうことも、一緒に温泉旅行することもできない。

 

彼がいなければ、僕の人生ベスト3に入る位大好きな小説『月と六ペンス』を読むこともなかった。ストリックランドの生き方を知らなかったら、僕はインドに行っていただろうか?インドに行かなければ、今東海岸で公衆衛生を学ぶこともなかっただろう。そしてインドで出会った友人に紹介してもらった妻と出会うこともなく、今も独身貴族だったかもしれない。

 

就職一年目、仕事が出来なさ過ぎて毎日夜中まで残業をしていた。ある日、タクシー帰りの24時過ぎ、何の気なしに友人に電話をして教えてもらった、不可思議/wonderboyの"Peliccule"。

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このPVにどれだけ俺は救われてきただろうか。命を燃やして生きる、10文字にも満たないこの考え方を全身で体現している不可思議/wonderboyに辛い時いつだって勇気をもらっていた。今もだ。どうしようもない気持ちになった時、この曲を聞き、甦ってきた。

友人がいなければ、この曲に出会うこともなかった。後年この曲を伝えたシアトルの友人とも、ポエトリーリーディング・ラップ好きとして、海外に住みながらも交流を続けることも少なかったかもしれない。

 

余談だが、この不可思議/wonderboyのライブ仲間たちのanswer song も最高なので見てみてください。

 

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(亡くなる前に日本で彼と会った話。会っておいて良かった)

daisgreatadventure.hatenablog.com

 

共に愛した『ジョジョの奇妙な冒険 第5部』、敬愛するブチャラティさんのセリフで彼を送りたい。

アリーヴェデルチ!!(さよならだ)

 

 

2021年のベスト

2021年が残り1週間を切ったので、改めて2021年を振り返ります。

 

【プライベート ベスト3】

1. アメリカへの大学院の留学を再開

もはやオンラインで学位を取ってしまおうかと思ったりもしましたが、結果的には2021年8月からここアメリカで、MPHの勉強が出来ていることが最も素晴らしいことでした。改めて、奨学金をくれた団体、推薦状を書いてくれた前職の恩人や、短期間ながら雇ってくれた元上司、そして常に応援をしてくれている妻・両親・兄弟に感謝をしている。

 

2.家族が健康

1と繋がる話だが、家族が健康でいてくれるからこそ、気にせず海外で勉強を続けられていると思う。このままできるだけ長く健康を保ち続けられたらと願うばかりである。

 

3.友人の見舞い

過去にもこのブログで書いたが、大学時代の友人が末期がんとなり見舞いのため日本に一時帰国をした。友人から連絡をもらってすぐに日本に帰れるだけの状態であったことを喜びたい。そして何より、会うことができて本当に良かった。年末にもZOOMで話す予定である。少しでも長く、生きてほしい。

 

daisgreatadventure.hatenablog.com

 

【仕事】

1.念願の開発ど真ん中の仕事

10年近く憧れていた開発ど真ん中の仕事に就くことができたのは幸せだった。本部勤務という事で、全体像を見れたので、次はもう少し現場の仕事もしたい。

WHOの国オフィス・地域オフィスでみっちり現場に係るのがいいかなと考えている。

 

【エンタメ】

エンタメの振り返りは行ったので、その中でもベスト3を書いておきたいと思います。

 

(映画ベスト3)

1."Two Distant Strangers(隔たる世界の二人)

これは本当に絶望的な気持ちになる映画なんだけど、2020年代の今、アメリカに住む自分としては絶対に見なければいけない映画。世界中で、”分離”が起きているが、人間は”Unite”が出来なくても互いの立場を理解することは出来ると信じている。

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2. 『シン・エヴァンゲリオン
これも最高の映画体験だった。過去作をぶっ続けで見てから望んだからか、本当に自分が碇シンジになったかのような気持ちで見ていた。何を書いても陳腐になりそうなのだが、あの、長い長い歩きでの旅をの後に、たどり着いた村での生活。碇シンジは何もしていないが、綾波(仮)が自分に目覚めていく場面、自分の意志でエヴァに乗る場面、どこをとっても、人生に絶望した人間がどん底から這い上がる話ですごく好き。

映像的にも、パリでの戦闘シーンのカッコよさは僕の心に残っている。

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(小説ベスト3)

1. 三体

ついに完結。三体は1を読んだ後、日本語版が出るのを待ちきれず英語版で2も3も読んだのだが、素晴らしかった。多分英語だと零れ落ちているところもあるので、また読み直したい。何がこんなに素晴らしいのか?

物語は、極めてシンプルな異世界ファーストコンタクトものなのだが、中国という舞台設定による歴史的な面白さ、登場人物がそろいもそろって癖があってかっこいい、そしてどんな登場人物も死ぬ可能性があるという残酷さ、三体のゲームの設定の面白さ、どこに物語が向かっていくのか本当に予想もできないツイスト。最高の徹夜本。未だにこの本を読んだことない人がうらやましい。絶対に損はさせないのでまずは1巻を読んでみてほしい。

 

 

2. Pachinko

今年読んだ本の中で最も心を動かされた物語。もともと、何世代かにわたる家族の物語が大好きで、桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』、北杜夫の『楡家の人びと』、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』等も愛読していたが、『パチンコ』もそれらに負けず劣らずの傑作。好きなポイントはいくつもあるが、差別をされる人種として生きていくことのリアリティを仮想体験させられるのが凄い。本当に辛く絶望的な気持ちになる。でも、それでも負けずに生きていくしかないのだ。そして、自分の世代で返せなかった借りは次世代で返すという人間の執念に言葉を失います。

 

 

 

(ノンフィクションベスト3)

1. 向田邦子ベストエッセイ

これも最高。今年初めて、エッセイを丸々10ページほど写経してしまった。この『手袋をさがす』だけでもいいから立ち読みしてほしい位最高。フェミニストの端くれとして断固支持します。このブログも最高だった。

 

 

kaseinoji.hatenablog.com


2.  The Choice(アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝)

日本語版が出る前に英語で聞きました。日本語版のタイトルがダサすぎるけど、とにかく凄まじいホロコーストサバイバーの物語。読んでくれとしか言えない。

これを聞きながら会社に通っていると、頭が凄まじく揺さぶられて午前中は全く仕事がはかどらなかったのを思い出す。絶対に読んだ方がいい。

この話もまた、人生のどん底中のどん底に叩き落された文字通り何の罪もない少女が、生き延びて生き延びて、自分の人生の意味をつかむ話。僕の敬愛するフランクルさんも出てきて、我々が人生の意味を探すのではなく、人生が我々に何を問うているのかを考える、という言葉を思い出した。読んでいて涙が出てしまうが、それでも読むことを進めたい。

 

 

3. 失敗の本質

戦略を学んだことのある日本人なら一度は読もうとしたことがあるだろう名作。僕は過去10年の間に3回以上は読もうとして読み続けられなかった。読書にはタイミングがある。

日本的組織の失敗について6つの作戦失敗というケーススタディを用いて、これでもかと執拗に書き連ねる。日本の組織で働いた経験のある人なら、日本で生活したことがある人なら、膝を打ちたくなるような、ダメな組織の運営が国家レベルでもそして、戦争という緊急事態でも同様に遂行されるのを見るにつけ、この病の重さが辛い。

 

 

2021年振り返り(エンタメ)

まず、大きな話から。2021年は1月から悲しいことがありだいぶ落ち込んでいた。

仕事はオンラインベースで7月まで続け、その後10日間ほど国内を旅行し、8月からアメリカ留学。9月には病気の友人の見舞いに一時帰国し、10月からはひたすら留学先で勉学に励んでいた。

エンタメ的に言うと、とにかく10月―12月が異常に勉強で忙しくて、まったくと言っていいほど触れる時間を取ることができなかった。極めてストレスフルな時期だった。当初の予定ではNYでブロードウェイも見たかったが、読書すらできない中では到底実現不可能だった。ここまで知識を詰め込む教育を大学院で行っているというのは、ちょっと想定していなかったので驚きであった。

1年間で、本は44冊、映画は14本という事で、本は毎週1冊のペースに届かず、映画はつき一本のペースといったところ。では、月々の振り返りを。

 

1月:本6冊、映画2本

ー印象に残っているのは、Pixarの"Soul"。生きる意味について、別に歴史に残る人物になんかならなくたって、生きてることに価値がある。もう一度見たい。

ー"RGB"も強く覚えている。女性でありながら最高裁判事を勤め上げ、ポップアイコンになった女性。アメリカの大学院の同級生の部屋にも彼女の写真が飾ってあったりする。最高裁判決が社会を少しずつ変えていったことを実感として理解できた。

ー『アメリカンブッダ』これは歴史SFなんだけど、とにかく読んでて面白い。

 

2月:本4冊

ー"The Choice" Holocaust survivorsの女性の話。16歳、バレーでチェコスロバキア国内の選抜に選ばれた女性がアウシュビッツに送られてからのmemoir。あまりにも壮絶で今も耳に残ってる。

 

3月:本6冊

ー『月の光』中国SFの短編集。めちゃくちゃ面白かった。

ー『ワン・モア・ヌーク』東京に原子爆弾を落とすっていう話なんだけど、極めて政治的な内容と、冒険小説としての面白さの両方がレベル高く書かれていて、完全に徹夜本。

ー『大前研一 敗戦記』当時の日本でトップ10に入るほどの頭の良さと、国を憂う気持のあった大前研一都知事選で負けた後に振り返って書いた自叙伝。著者の他の質の低い本の再生産・文庫化の中で、この本が文庫化・再販されないのは、未だに本人の中では、納得がいっていないのだろう。特に、組織の中枢や外部から支援を行う役割の人間は一度読んだ方がいい。傑作。

ー"Pachinko" 在日朝鮮人の4世代記。Obama大統領が推薦したこともあり、アメリカでも何人もこの本を読んだという友人と話をした。日本は単一民族だからとか、民族問題がないとか、差別がないとか思いこんでいる人々は絶対に読んだ方がいい。当事者である日本人としては読むのが辛いが、差別を受ける対象として生きていくことの個人の人生への影響と世代を超えても乗り越えられないものが感じられる。

 

4月:本2冊、映画3本

ー『シン・ゴジラ』超カッコよかった。日本的な組織の強さと弱さ。日本が壊れるくらいの衝撃が起きたら、また、若者の力で何とかなるだろう。

ー"Minari" 韓国系のアメリカへの移民第一世代の話。この話がアメリカ人に刺さるのは、ある種、アメリカ人の誰もが原体験として祖先が似たような経験をしているという事だという町山さんの話を聞いて、超納得した。

 

5月:本5冊、映画3本

ー『デス・ゾーン』栗城史多さんの評伝。真の実力がないのに、他人の注目を集め続け、期待を集め続けた方の生きざま。どこかでそのレースを降りることができていたらと思わずにはいられない。昔もこういう方はいただろうけど、インターネット・SNSのせいで、その規模が大きくなっている。自分としては、薄っぺらい誇大広告ではなく、本当の力を身に着けるべきだと思っているし、周りの人が集金を始めたら距離を取る。

ー"Two Distant Strangers(隔たる世界の二人)" 何の罪もないアメリカ人が、黒人であるというだけで警官に殺される話。時間SF(ループもの)になっていて、どうやったらこの窮地を脱出できるんだろうというところが面白いが。。日本人的には、完全に、『世にも奇妙な物語』。アメリカに住むならという事で観たが、、、お勧めではある。

ー『失敗の本質』長らく積読していた本。政府関係機関で働いたことで、役所の日本語が読めるようになり、やっと読めた。内容自体は極めて示唆に富んでいて面白い。日本的組織の失敗は今も続いている。漫画『風雲児たち』を読んで、徳川幕府時代からの伝統(合議制や事なかれ主義)が続いているのかと思うと、改めて組織には歴史があり、変えることが極めて難しいことが分かる。日本の組織で変化に素早く対応し成長が目立つのがオーナー企業なのは関係ないと考える(とはいえ、これは丁寧なスタディが必要だ)

ー"Three Body Death's End" 三体です。最高すぎる。あまりにも読み終える(聞き終える)のがもったいなく切なくなった。この10年間のSFの中で最も衝撃的な大作として自分の中に残ってる。

 

6月:本5冊、映画4本

ー『シン・エヴァンゲリオン』含む過去3作。この月は、この映画を連続で観れたことだけでめっちゃくちゃハッピーだった。すげえよ。NHKかなんかの庵野監督特集も含めて、凄まじいものを見せてもらったなと感謝。

ー『散るぞ悲しき』硫黄島の戦いで日本側の指揮官を務めた栗林中将の話。何とも言えないが、読むべき。僕と同じ年にアメリカに留学をし、絶対に勝てない戦いと分かっていながら、部下・地形をいかに有効に使い、どれだけ敗戦まで長引かせられるかを戦い抜いた方の話。辛い。

 

7月:本4冊、映画1本

ー『向田邦子ベストエッセイ』この月は、これがベスト。「手袋をさがす」という名エッセイが収められており、この話だけでもこの本を買った価値がある。マジで最高にかっこいい。エモい。傾奇者として生きていく、そういう覚悟を持った人間の話。

 

8月:本5冊

ー印象に残る本話。

 

9月:本3冊

ーがん関連の本。

 

10月ー11月:なし

 

12月:本4冊、映画1本

ー『偶然の聖地』面白かった。ロードムービー的なところが。

 

MPH留学が半分終わったので、少し振り返り。

今週は中間テスト週で、明日から怒涛のテストなのですが、完全に現実逃避でMPH留学前半戦を振り替えりたいと思います。

 

【大学の学び関連】

1.人間がいかに数字を理解することができないかが分かった。

疫学・統計を深く学ぶ中で、今までの自分の因果関係に関する理解が極めて浅かったと感じている。日本語のニュースを見ていて、一般的な日本人はあまり確率計算とかが得意じゃないのかと思っていたけど、そういう話ではなかった。コンサルタント時代に自分の行っていた”分析”も科学的にはめちゃくちゃ怪しかったなと忸怩たる思いを感じる。

ただ、自分が学んでいるレベルのことをニュースとかで理解してもらうのは難しいと思うので、どこかで専門家が恣意的に情報を優しく伝える必要があり、そこに人々は怪しさを感じ続けるだろう。

 

2.サイエンス至上主義ともいえる環境であり、驚くほどビジネスの世界を感じない

同級生も先生も、ビジネスの世界とはかなり距離がある。だから就職先としても、いわゆるMBA的な会社の名前は全く聞かない。特殊な世界なんだなと改めて思う。なんというか、理系の大学院っぽいというか、医学系だからなのかもしれません。自分の生きてきた、いわゆるビジネスのエリート的な世界と全く違う世界があるというのは新鮮だったし、自分はビジネスの世界に染まりすぎたのかもしれません。個人的にはサイエンス・ビジネスは世界の発展の両輪だと思うので、どちらも重要である。

 

アメリカ在住関連】

3.身近に問題が山積していても、意外と普通に生きられる。

銃・オピオイド大麻・貧困・ホームレス・・・こっちでは頻出の言葉だし、ニュース・授業でも頻出。映像を見るとその悲惨さが際立つんだけど、日々の暮らし自体は意外と影響を受けていないと感じる。これは自分がお客さんという立場だからだと思う。もしも子供がいたら、子供をこんな環境で育てたいかというとなかなか悩ましい。アメリカの教育(大学生が真面目に勉強することや、大学の先生のレベルが高い)・生活環境(大型犬が多いし公園が多くて幸せ)は本当に素晴らしいものがあるな、と思う一方、社会問題(多くの問題は歴史に紐づいているので解決が難しすぎる。。)があまりにひどすぎると感じることも多い。

 

4.料理の腕が上達した。

外食が高く栄養化が偏るので、美味しくて健康な食事を食べようと思うと自炊一択。Whole Foods Marketというオーガニックスーパーと、H Martというアジア食品スーパーがあるおかげで何とかなっています。

個人的には、茅乃舎のだしと、友人が教えてくれた野菜を冷凍して使う方法を覚えてから、夜は肉と野菜を入れたスープをひたすら食べている。トマト入れればイタリア風、キムチ入れれば韓国風、しいたけ入れれば日本風。完璧。

 

5.健康的な生活をしようと努力をしている

毎日8000歩歩く習慣や、週に2-3回はジムに通う習慣、上でも書いたが毎日一杯新鮮な果物を食べるようにしている。これは、意識をしないとどんどん太っていくような食事があふれているからでもある。

 

【キャリア関連】

6.本当にこの道に進んでしまっていいのかと少し怖いが、行ってみたらいいんじゃないか。

疫学を専門的に勉強していく中で、もっとこの分野をやりたいと思うようになった。特にField Epidemiologyと言われる分野で仕事がしていきたいと考えた。ただ、今までのキャリアを利用しないわけにもいかないので、疫学も判りつつ途上国の公衆衛生の底上げみたいな仕事か。

もしもビジネスの世界に戻ればお給料はいいんだけど、日々の仕事レベルで、そして仕事の提供する価値レベルで、両方満足感が得られそうな仕事を続けていきたいと思ったのだ。

 

【人間関係】

7.妻や家族と離れて暮らすのは寂しい

1年くらいならいいけど、あまり長いのは辛いなと感じた。僕は小さいころ転校が多く、なぜ父の仕事についていかなければいけないのかと思っていたが、むべなるかな。

また、家族や友人と会わないと、そして時差があると、どうしても距離が広がってしまうので、母国以外で暮らすという事は本当に真剣に考える必要がある。

 

8.自分の社交力の低さが時に嫌になります

プライオリティを大学での学びと就職活動においているので、ほとんど同級生と遊べていない。心に余裕がないことに加え、生来の社交力の低さが影響している。。あと、同級生の7-8割が女性なので、なかなか食事などに誘いづらい。。妻がこっちに一緒に来ていれば、ホームパーティー的なことをやればいいんだろうが、なかなか難しさを感じているところ。

 

なんか思いつくままに書いてみたが、オーバーオール幸せに生活をしています。日々の学びは圧倒的で、知らなかったことを深く知る機会、その道の専門家に直接師事する機会は貴重です。先生方はアメリカ政府のアドバイザーだったり、超一流の専門家の方々なので。そして、そういう先生方も普通に一人の人間で、同じように生活し働いていると思えたことが貴重な発見だった。

そしてまた、忙しすぎる日々の中で、将来の不安やらもあるんだけど、そういうことを仮面を被らず率直に話し合える同級生が数人いるという事も幸せです。大勢の人と仲良くなるのは得意ではないので、数人と仲良く過ごしていきたい。

比較というほどではないが、MBAの同級生達はみな極めて素敵な人である。彼らは自分の能力をストレッチし、最大限に能力を活かし、その恩恵を受けることを重視している。一方、MPHの学生は医療系・研究系、政府系・ノンプロフィット系の人々が多いので、どちらかというと、Social Goodのために何かをしたい、という志向性を持っている人々が多いとと感じた。ややもすると、自身の能力を最大限伸ばし、活躍するという考えが薄いようにも思える。自分は環境に染まりやすいので、気を付けよう。