Global Healthの世界で働く経営コンサルタント

Global Healthの世界で活躍する

自分の経験が増えてくると、遠くから尊敬していた人をそうでもないと思うようになった、という話。

少なくとも自分は、人の属性を見た上でしか、冷静に中身を精査できないのだと思った話。目を瞑って次のふたつの言葉を聞いてほしい。イチローさんに言われたほうが、何か特別な言葉を言われたような気になるでしょう。僕らはコンテクスト・文脈なしに、言葉の中身を受け取ることはできないんだと思う。

 

「努力なんてみんなしているんで、やって当たり前なんですよ」(イチロー

「努力なんて誰だってやってるんだから、やって当たり前」(大学受験生)

 

自分が国連経験もなく、海外大学院留学をしたこともなかった時には、xxさん(海外大博士卒、世銀経験あり)や、NGO界隈で有名なxxさん(同左)といった方々の言葉を、多少違和感を感じるところがありながらも、一定程度尊敬して話を聞いていた。

 

今思うと、僕は彼らの話の中身ではなく外側(つまり学歴・職歴)をみて話を聞いていたように思う。

 

そして、自信が似たようなバックグラウンドになってくると、そのような方々の経歴を見た時にも、「世銀〇〇年といっても、xxのポストか」とか、「結局国際機関ではP3レベルの仕事までしかしたことがないんだな」とか、思うようになった。つまり、外側に対してはビビらなくなったのだ。

 

その状態で初めてしっかりと中身を見ることができるようになった。彼らの書いた文章を読み直したときに、論理展開のつたなさ(アメリカの大学で博士まで、出ていても、逆・裏・対偶の真偽すら理解していないんだな)とか、あまりにもナイーブな世界観(民間企業出身の自分だと、エリートが同じ言語を持っていることや英語話者以外を認めない事)に違和感を感じるようになってしまった。

 

このことからの結論は?仕事で多くの人に影響を与えたいなら、外側を強化し続けよう。常にその世界で一流の外側を身につけよう。同時に、中身のレベルを上げるための努力を続けよう。どちらかだけでは十分ではないと思うようになった。具体的には、海外の一流大学の博士課程を修了しようと思う。