Global Healthの世界で働く経営コンサルタント

Global Healthの世界で活躍する

MPH(公衆衛生大学院)卒業間近に迫り、就活と学業に追われている。

1.ざっくり今の気分

コロナの影響で3年間(当初の予定は2年)続いた大学院生活が遂に終わる。長かった。。こんなに長く学生をやるとは思ってもみなかったし、まさか半分以上の期間オンラインで教育を受けることになるとは全く想像もしていなかった。録画された授業を毎日数時間見て、用意された宿題を解き、たまに思い出したかのように大学で授業を受ける、慣れたとはいえ、こんなはずじゃなかったという想いは今もある。が、これがコロナ禍の現実なので受け入れるしかないだろう。

 

2.現状とこれから

学業面では、もはやGPA(成績)はどうでも良く、卒業要件を満たすことだけに邁進しており、就活により多くの時間を割いているのが現状である。このままうまくいけば、国際保健の世界でポジションを得ることが出来そうなところまで来た。


3.センチメンタルな振り返り

思えば遠くに来たものだ。学部卒業後、最初の会社で働いていた時には、いつか国際協力の世界で働きたい・いつかロンドン大学のMPHに留学したい・いつか途上国のために働きたい、そんなことを考えていた。紆余曲折を経て、あれから10年。やっと、ここまで来た。既に昨年、本格的に国際業力業界に足を踏みいれ(それ以前からコンサルタントとしては関わっていたが)、ロンドン大学ではなくアメリカの大学でMPHに留学も果たし(おまけにMBAも取った)、そしてまたすでに途上国のためにはコンサルとして数年働いた経験を持ち、これからは国際機関で働くための第一歩を踏み出そうとしている。身分はどうなるかわからないが、ほぼ確実に働けるだろう。

 

10年前の自分に言ったらなんと言われるだろうか。「おせーよ」と言われるかもしれないが、この10年間の自分のキャリアには(あまり)後悔はない。世界的な食品メーカーの日本支社で働くことで、いわゆる民間企業(正確にはB2Cの消費財企業)がどう動いているのかを理解できた(し、農水省厚労省の民間への圧のかけ方を学んだ)。3年間しか所属していないが、当時の上長や同僚達が僕にかけてくれた言葉・愛情は今になってありがたく思う(今思い出しても嫌な思い出もいっぱいあるけど)。


2社目の人事コンサルでは、本来は数百万円を払っても受けられないようなコーチングや、トップ企業の役員へのコーチングも傍で見ることができた。この経験は自身のポストが上がるたびにその価値が上がるものだろう。

 

その後、南アジアを中心として、サブサハラ・アフリカ・東南アジア・韓国・そして日本で経営コンサルタントとして働いたことで、多様なチームをマネージしてクライアントを満足させるだけの仕事をする経験も味わったし、各国の保健システムを理解するための泥臭い調査・レポート書きも経験できた。大企業のアジア拠点・インド拠点の再生プロジェクトでは役員レベルに対して成長戦略を提示する中で、中心メンバーとして一定の貢献ができたと自負している。プロジェクト開始前は、本当にこんなことできんの?って思うような仕事も、構造的に理解し、専門書を読み、専門家と話し、現場に赴き、また議論して、ひねり出せば何とかなると思えたことは僕の自信になっている。(大規模な需要予測や、市場規模予想、諸島部の石油市場なんてよくできたと今も思う)業務内容はもとより、最も尊敬している上長からプロフェッショナルとしての姿勢を学べたことが一番の学びである。名言製造機の上長の言葉、今もたまに思い出す。以下一例。

・「戦略案件とか調査案件とか誰が決めたんだよ?仕事のスコープはてめーがきめろよ。調査だけで終わらせて示唆が出せないから調査案件止まりなんだろ」

・「あのな、お前のメールとかスライドは唐突なんだよ。デートだってそうだろ。お茶行ってすぐホテル行かねーだろ?」

・「一流のプロフェッショナルとして働き、超一流と肩を並べてその人たちと働くのがおれたちの仕事」

・「お前、なんて恰好してんだよ。大塚商会じゃねえんだぞ。腐っても経営コンサルタントなんだから、お客さんの所に行かなくってもスーツでびしっと決めて来いよ。」

などなど。忘れられない思い出である。あの時インドに行かなかったらこんな貴重な経験はできなかっただろう。

 

中国のMBAでは、中国語が中級になったこと、そしてまた中国人の友人が出来たことが一番の財産だと思っている。(中国語のレベルは上げるつもり)もちろん授業も楽しかった。コロナがなければ中国・台湾の国内を友人と共に旅行するつもりだったので、それが出来なくなったことはとても悲しい。もっと中国や台湾の文化を知ることができただろう。

 

その後、日本の国際協力機関で1年間働かせて頂いたことも本当にありがたかった。正直採用されると全く思っていなかったから。憧れの組織で、南アジア向けの技術協力プロジェクトや無償資金協力プロジェクトに担当責任者として関われたことは僕の財産である。短期間で複数のプロジェクトの立ち上げに関わらせて頂いた上長には感謝している。留学中にも連絡をもらい、卒業後のポストを聞いてくれたのも本当に有難かった。お世話になった方が一人亡くなったことも、辛い思いでだが、忘れずに記しておきたい。僕の将来を期待してくれていた彼が、空から見守ってくれていると勝手に信じて、彼に誇れるような仕事をしていきたい。ほんとなら日本帰国後一緒にお酒が飲みたかった。

 

そして現在。憧れの大学でMPH学生をしている。入学してからもテンションの波はあり、Ph.Dの人に対して劣等感を感じたり、他の2年生の学生やMPHにいる医師に嫉妬してみたり、自身の持っていないものばかりに目を向け、「しょせんMPH取ったって大したことがない」というヤサグレた気持にもなっていた時期もある。しかし、卒業を目前に控え、この短期間でいかに多くのことを学んだか(消化不良だが)、1年前の自分とは圧倒的に国際保健のトピックに対しての視野が広がったことを実感している。そしてまた、就活においても、憧れの組織の方とお話しした時に、とりあえずは候補者として扱ってもらえる程度には職歴・学歴を積んできたことを誇りに思いたい。残り3か月程度しかない中で、数少ない友人とはより一緒に時間を過ごし、お世話になった先生方にはこまめにお礼を言い、あまり仲良くできなかった同級生にもご挨拶くらいはしていきたい。

 

未だ出願前・中のポストが多いので詳細は書かないが、おそらく6月・7月ごろには次のポストが決まっているだろう。決まったらここで、どうやって就活をしたか、どこに行くか、等書きたいなあと思っている。