11/20〜11/22、ある会社のファシリテーター養成講座応用編に出ました。
内容はほとんどが、「いま自分がぶつかっている壁を超えるためには何が必要か?」というものだった。一見、ファシリテーターとは何の関係もないが、あえて言うと「DoingよりもBeingを変える/開くことが重要」ということだと理解している。
そこで、2日目のメインテーマは「自分のメンタルモデルを受容すること」だった。
メンタルモデルとは何かを僕の言葉で言うと、「自分自身が思い込んでいる真実。それが行動の無意識の指針になっているもの。そして事実ではない」
詳しくは、SoL(学習する組織)のサイトとかにも載っているので見てください。
ポイントは、いくつかあって、
・自分自身が思い込んでいる
・行動の無意識の指針
・事実ではない
・本人はそのメンタルモデルに中々気づけない
・メンタルモデルを変えることはアイデンティティの死を意味するので変えることが難しい
ちなみに、僕のメンタルモデルの根本は「自分は人として何かが足りない。欠陥がある」というもの。そして、それゆえ「欠陥」を指摘されたり発見するととたんに狼狽し次のシステムが起こる。
「欠陥を発見」
→「焦る」
→「自分の努力/配慮が足りないせいだと自分を責める」
→「必死に頑張る」
→「欠陥を埋めて一瞬ほっとする」
→「次の欠陥を発見する」
→…
これ、見れば分かる通り無限ループに入っています。
つまり、僕の人生は「自分の欠陥を見つけては埋めて、新たな欠陥を見つけて埋めて」の繰り返しということです。めっちゃむなしい。。
ただ、これを見た時に僕が思ったのは、「ああ、僕はこれに気づいていたなあ」というもの。だって、そのために中学受験も頑張ったし大学受験も頑張ったし獣医にもなったし、留学もしようと思ってたんだから。ひたすら自分の穴を埋める作業をしていたんだ。
補足ですが、学歴の高い人は多かれ少なかれこのメンタルモデルを持っていると言われています。だからつまんない受験勉強を頑張れる訳で。
このむなしいメンタルモデルのポイントは、実はこれが事実でも何でもないということ。「僕が人と比べて足りない」なんて言うのは本当に戯言で、ほんとの真実は「そもそも人は皆違っている。そして皆完璧だ」というもの。
これを頭で理解するのと腹落ちするのは全く違う。
今回の合宿で、自分のメンタルモデルの悲しさと、それによって僕が得てきたもの/失ってきたものが腹落ちしたので、後は実際にこれを受容するだけだと。
そのための手段は、
1.慣れ親しんだ「足りない」を感じた瞬間にノートに書く
2.「焦る」をやらない。「頑張る」をやらずに呼吸法でリラックス
3.「焦り」からではなく「弛み」から行動をする
既に2日ほど、過ごしているけど少なくとも「足りない」を感じる力はついている。
「焦り」から「頑張る」しかしてこなかった自分にとって「頑張らない」ってのは未知の領域なんだけど、気持ち穏やかにやってみまーす。
(2017年5月:さて、久々にこの種の投稿を見直して思うことを。うん、未だに「焦る」は現われるけど少なくとも認知はできるようになった。そして、今僕が留学したいのは別に自分の欠点を埋めるためじゃなくて、惹かれている場所(欧州)で働きたいからだし、単純にグローバルな環境を体験したいから。その意味で、〜がない自分の穴埋め感はなくなったかな)