Global Healthの世界で働く経営コンサルタント

Global Healthの世界で活躍する

『異文化理解力』感想。自戒を込めて、どの文化も自分が正しいと思っている。

いまさらですが、読みました。

インドで、日本人の僕は、コンサルトして、働いています。
クライアントは日本企業かインド企業がほとんどですが、プロジェクトでは、東南アジア/アフリカ/アメリカ/中東まで範囲にしています。
言ったら、日本的なグローバル社会人なわけです。

 

で、そんな自分は、こんな本に書いてあること、日常生活でわかってんじゃねーの?と思いながら読み始めたのですが。。読み進めていくうちに、何というか、自分を恥じることがいくつも思い出されました。

一番分かりやすいのは、時間に関してだけど、僕もどうしても、時間厳守はグローバルルールなのに、なぜインド人は守れないんだろう?と不思議で不思議でしょうがありませんでした。

また、ハイコンテクスト/ローコンテクストに関する違いも面白い。
ハイコンテクストな社会とは、会話の空気を読む必要がある社会であり、歴史的に同一な人々によって成り立っていることが多い(日本もインドも)
一方、ローコンテクストは社会では、会話はすべて「表現された通りに受け止められる」し、「表現されていないことはないものと同じ」という特徴を持つ。
面白いのは、下記3種の会話では、Bよりも、Cの会話のほうがより、噛み合ないということ。よって、多分化な人々と話す際は互いがローコンテクストな会話(必要充分なことを話す)必要があるということ。インド人/日本人は共に、極めてローコンテクストな文化を持ち、かつ、異なる文化を持っているので、肝に命じたいと思う。
A:ローコンテクスト同士(国は違う)の人々が話す
B:コーコンテクスト文化の人と、ハイコンテクスト文化の人が話す
C:ハイコンテクスト文化同士(国は違う)人々が話す

少し、話は変わるかもしれないが、我々コンサルタントが作る資料というものは、ローコンテクストな文化に最適化された文書の最たるものだとすら感じる。常に先輩からは、いつ(後々プロジェクトを見られることはある)誰が(発注者から何度も何度も転送される)どのように(読み方は文化、個人差が激しい)読んでも、同じように理解されるように書くべきだと、しつこく教えられる。
面白いなあ。


思考が飛ぶが思いついたので自分の幼少時代について。僕は、幼少期をアメリカで、その後小学校からは日本なので、感性としては日本人的であるべきだと思うのだが、いちいち自分はアメリカ的(ローコンテクスト)な所もあるなあと思っていたが、ふとその謎が解けた。僕の兄はアメリカで小学校時代を過ごしており、彼とあまりに長時間一緒にいすぎて、会話しすぎて、説教されすぎたせいで、僕は学校では日本式、家庭(兄)ではアメリカ式の教育を受けていたんだと気づいた。なるほど。だからか日本の学校にはなじめなかったし、社会人になってからも米国の会社やコンサルタントという、極めて西洋的かつローコンテクストな企業体で働いている。

話を本書に戻す。

もう一点、個人的に面白かった(日本とインドの違いと言う観点で)は、
日本人は物事を進める際に極めて合意思考が強く、インド/中国はトップダウン式であるということ。
これは、インド企業と働いた時に嫌という程感じた。あるインド企業の社長と、彼の右腕/左腕と仕事をした際、彼らと私たちが何度合意しても、最終的には社長の鶴の一声で結論が変わった。こっちからしてみれば、社長だけが決めるなら彼の部下に話す必要はないだろうと感じたが、彼らの中では、社長は絶対であり、その前に部下が外部機関の提案を精査するのは当然のようだ。


仕事で相手を信頼する方法に関しても面白い。この本には何度も書かれているが、大事なのは絶対的な意味での尺度ではなく、他の文化と比較したときの相対的な尺度であるということ。
日本もインドも絶対的な意味では、信頼関係を気づくのが関係ベース(個人を知り合うことが重要)であり、タスクベースな文化圏ではない。
しかし、インドから見ると日本は、タスクベースな文化圏に写る。つまり、インド人の同僚からすると我々日本人は仕事でしかつき合わない人々で、中々信頼するのが難しいと写っていることが分かる。

同様に、「見解の相違」への反応として、日本もインドも同様に「対立回避型」だと言われる。しかし、日本が極端に「対立回避型」であるから、我々から見るとインド人は「対立型」にみえる。事実、のべつくまなく議論を交わしている姿を見るたびに、日本人である我々は、またやり合っているなあと思ってしまう。しかし、世界的に見ると、イスラエル/フランスのような国は比べ物にならないほど「対立型」の国である。

これらの面白いトピックを読み終えて僕が今思うのは、日々の生活で学んだことを活かしていくことだと感じる。Amidさんが何かを言った時に、反応的にいらっとするのではなく、互いの文化圏の違いに目を向け、優しくなろうと思う。