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今日書かなきゃいけないなにかがある。書きたいなにかがある

2014年10月22日 午前10時2分

 

いま、ここで、書きたいことがある。

とりとめも無く書く。

 

深夜に以前不義理をした団体のみんなにメールをした。ここ数年、何をしていいかわからず、いろんな仕事や勉強や、遊びをしてきた。その中で、一度はその団体に関わりそして離れた。今、自分が選ぶこと。選択。いま自分は選択をした。選択について彼らに話したくなった。話さなきゃいけないって言う義務感も少しはある。そして団体を一緒にやって行くかどうかは別として、人としての彼らが大好きだから。自分を知ってもらいたい。つながりを求める。単に知ってもらいたかった。

朝、彼らからメールをもらった。朝一でそのメールを見て、本当に心が温かくなった。メールでも”あり方”は伝わる。自分を抱きしめられるようなメールだった。彼らの僕への気持ちを感じた。

 

記念すべきパーティーの朝に雨が降っている。これは浄化の雨だ。すごく気持ちがいい。会社にとっては最初のフェーズが終わったことを告げる雨。そしておれにとっても、一つの辛い谷を上った祝福の雨。おれが入ることで会社は次のステージに進む。おれはチョイスをした。会社のみんなもチョイスをする。ただ、これは全員のチョイスではない気がしている。おれがチョイスをした瞬間に、ドミノ倒しみたいに、全てが、ただそうなるはずであったかのように動いている。もはや誰かが決めているというよりは、決められているという不思議な感覚がある。

自分はスイッチを入れる存在なんだ。そして自分は虹のように”あれ”と”これ”をつなげる存在なんだと実感している。人には”定められた役割”があり、それに気づいたらそれを全うするだけだ。

 

身体の疲れと心の疲れはどっちが先だろう?当然不可避なものなので影響し合っている。さて、現在の医療で取り扱っているのはどっちだろう?総体としての人を扱うのに、身体だけ見ていて何ができるのだろう。見るべくは両方だ。そして心に対して身体のアプローチをしても通じない。

 

今日のパーティーが終わったら、一気に加速する。今まではブースターの無い小舟をみんなが漕いでいた。一人で百人力のみんなだから、めっちゃ進んだ。志を一緒に持ったみんながついて来れる訳ではない。苦しい雨風の中小舟は進んだ。マストが折れたら直した。人が倒れたらいたわった。気づいたら風はやんでいた。気づいたら光が見えた。気づいたら周りにも船が増えてきた。ステージが変わったことに気づいた。漂流している若者を拾った、新しい存在だ。周りの船からもみんな様子をうかがっている。みんな一緒にやりたいんだ。若者は光だ。光は船同士を結びつける、船をさらに進めるための存在なんだ。

自分がそんな、ブースターであるということに自信をもとう。みんなに嫌われたくないっていう思いは結局ブレーキになる。そうじゃない。みんなに嫌われてもこの船を進めるんだ。それがおれのミッションだ。船が次のステージに行ったら僕も次の船に行くかもしれないし、船を造るかもしれない、船を降り街で生活するかもしれない。大事なことは、自分には常に能力とチャンス(機会)があり、それに気づけていることだ。人生に祝福を、全ての人に幸あれ。

 

昔好きだった詩にこういうものがある。

 

「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしてくれ、花に嵐のたとえも在るぞ、さよならだけが人生だ」(井伏鱒二

 

アンサーソングとして、こんなものもある。

 

「さよならだけが人生ならば、またくる春はなんだろう、さよならだけが人生ならば、めぐりあう日は何だろう、さよならだけが人生ならば、人生なんていりません」(寺山修司

 

僕の今までのスタンスは前者だった。どうせ人生において人は一人で生まれ一人で死んで行く。そんな中でさよならを前提として、人と付き合い、自分と付き合い、人生とつき合って行けば良いやという厭世観にも似た感情があった。

今、ふと思い出して思うことは、自分の”あり方”の変化によって、今の自分のスタンスは後者になった。

 

さよならだけが人生じゃない。この春を、この出会いを、この一瞬を、祝う。ただそれだけだ。一瞬の結びつきが永遠の結びつきになることを今の僕は知っている。いま、人が決めたこの時間の中にある生が終わっても、終わらないものがある。

 

雨が降っている、ここから僕の人生はリスタートだ。人生は終わらない。人生はさよならだけじゃない。人生は出会いに満ちあふれている。人生は愛と力だ。そして人も。

 

2014年10月22日 午前10時21分