Global Healthの世界で働く経営コンサルタント

Global Healthの世界で活躍する

社会人のコソ勉まじ大変(TOEFL前日に全社の飲み会しかも幹事)

件名以上でも以下でもない。最近入社した人が増えたので、全社でwelcome party やろうかという話になり、なぜか僕が幹事っていうね。

翌朝9時からだから23時には帰らないと下手したら受けられませんぜこれ。

神は細部に宿る
(というような立派な話よりはもう少し精神論寄り)

 

と考えて、今別日程にすべきか考えたんだけど、どうしよう。それってつまり生活の中のPriorityとしてTOEFLを仕事の飲み会より下に考えてるってことだけど、ぶっちゃけ仕事は忙しいし、これからプロジェクトに入って働いてくと同じような事態は何度でも起こりうる。翌週月曜の午前5時までに最終報告署を仕上げなきゃ行けないけど土曜日はTOEFLとかGMATとかエッセイカウンセラーとのミーティングとか。。。

よって、ここで”たった一回”でも浮気はすべきじゃないな。という結論。

基本、んなことを達成するのでも、最後に自分を支えてくれるのは①気合いと②積み上げて来た努力と③根拠無き自信だと思ってて、こういうディティールで譲らない事の重要性を知っている。

さーて、22時過ぎですが今から2時間くらい勉強します。

週末)勉強するならまずは勉強時間の定量化から。

土曜日:家でだらだら勉強

・朝からエアコンの修理。10時までに来ると約束していた修理の人がまあこない来ない。結局11時に来て、そっから2時間くらい修理。

・で、ランチ作って、その後は英語の勉強。3800という単語帳をひたすら覚える。途中で、GMATの算数を解いたりした。22時30分からエッセイカウンセラーとのskypeが入ってたので、その準備に1.5時間使う。資料作成。別にキレイな資料を作る事が目的ではなくて、skypeで会話するとどうしても情報量が少なくなるので、互いの理解を一致させるために作成。

・余談だけど、コンサル2年弱やって本当に良かったと思っているのが、この言語化スキル。議事録・メモ作成/予定表作成/パワポ作成である。外資のメーカーで働いていたときも当然これらは同じようにやっていたんだけど、クオリティが段違い。コンサルは誰がみても同じように理解できる資料を作る。そして、議事録・メモは絶対に当日作る。経験則でメモを当日に作らないと半分近くの事を忘れてしまうから。これから他の仕事しても、この能力はどこでも使える汎用的なものだと実感。

 

日曜日:体調不良

・10時頃に来るはずだった掃除のメイドさんが来ず。結局12時近くに来た。

で、3週間掃除してなかったので2時間弱掃除してくれて、その間は英語の文章読む。

・その後、ランチ作って勉強しようとするも、あまりの頭痛に断念。結局Podcast聞きながら昼寝3時間くらい?

 

決めた事:勉強時間をメモする。で、twitterにアップする。

勉強で大事なのは、(量)×(質)だと思う。当たり前か。
(質)を左右するのは集中力でこれは多分人によるのだけど、僕の場合はカフェ・図書館でやるのが一番。インドで快適な図書館はないので、カフェでやることにする。(掃除とか修理があると家にいなきゃいけないから不便)

(量)は見える化してないとだらだら途中でネットしちゃったりするので、自分への戒めに、メモする事に決定。

 

月末の5月27日にTOEFLテストで、仕事もついに月曜から一つプロジェクトにアサインされるので、効率的に進めていきましょう。

近況報告:今までのブログの内容をぶち込んでます。

インド想像以上に熱いです。。毎日45度ってどういうこと。

そして、そんな毎日を過ごしている中でついに来ました。

クーラーが壊れるという。この過酷な中でよく一番大事な時に壊れるよねえ。まったく小憎らしいぜ。

ちなみに、仕事はようやっと会社にプロジェクトが入り始めて忙しくなりそうだなあという嵐の前の静けさみたいな感じ。つっても今は20時くらいにはオフィスががらんとしているので、まあ暇なんでしょう。

 

で、タイトルの話です。

今まで僕が書いて来たブログの内容をこのブログに入れています。

大学生時代から入れると4回くらいブログのタイトルやらサービスやらを変えていて、Webって凄くて未だに15年前に自分が書いた文章が残っているんですね。

で、せっかくなのでこのブログにまとめることにしました。個人名や会社名等はぼやかしましたが。

なんというか、自分の考え方の変遷をみるって言う100%自分のために。あと1%は、自分の書いたレビューを闇に葬り去りたくなかったからというのもある。

 

TOEFLの勉強してて思ったことも一つ。

既に勉強法に関してはウェブ上に情報があふれてて、多分8割型つかんだら、後はひたすら勉強したやつが結局勝つんだと思う情報を入手することばかりに躍起になる人はいつも最後には負ける。で、あの時こーしてたらとか言うんだ。

 

熱い熱いインドで眠れなかったので日記を書きました。

TOEFLの勉強をしています。

相変わらず勉強大好きだな自分と言いたくなる。

2017年4月に、2018年2月1日にIMDに出願することを決めてから、TOEFLの勉強をしている。TOEFLで105点を取った後にGMATを勉強して、エッセイを書いて、インタビューに備えるという順番なのです。

 

で、4月に、物は試しとTOEFLを受けて来た@インド。

3年前にちょっとだけ勉強して受けたときのスコアが80点だった。あれから3年、英語を四六時中使う環境で働いているので、さぞかし点数が伸びているだろうと期待していたが。。結果は84点(Reading : 24, Listening : 23, Speaking : 19, Writing : 18)。

やべえ。というわけで毎日忙しい仕事の合間を縫って勉強してます。

 

前回久々に受けての次回へのtakeaway

・Reading : 全文をきちんと読んでから問題といてたら途中で圧倒的に時間不足に。。途中から、段落の最初の分はちゃんと読んで、後は流し読みという方法に切り替えてなんとか時間内にフィニッシュ。次回は最初からこのやり方でやる。勉強のときも時間制限を気にしながらやるべし。

・Listening:結構細かいところも聞かれるのと、集中力命のテストなので、大事なとこはメモとりつつやる。正直、勉強の仕様がないので慣れるしかなし。

・Speaking:もっとも伸びしろが大きいと感じた。というのは、60秒以内に話すとか、これ完全に慣れることが重要だから。&トピックは変われども、答えの構成は変わらないので、構成だけ事前に暗記してけばあと数点は必ず上がると感じた。あと、英語国に住んでてもこのテストみたいに60秒話すとかってシチュエーションはあんまないので、英会話申し込む。

・Writing:これも伸びしろあるね。日本人は大体ここで28点くらい取るらしい。Speakingと同じで、ここもトピックは変わるけど問題の構成は変わらない&問題数が少ないので対策がたてやすい。文章構成言葉とパラフレーズとスペルミスが3大重要ポイントだと実感。

 

具体的な勉強計画。

4月:ひたすらボキャブラリービルディング(TOEFLテスト英単語3800を覚える)

5月:ボキャビルを継続しつつ、実際の問題演習を始める(Reading・Listeningはおそらく、問題形式に慣れればもう少し点は上がる。伸びしろの大きいSpeaking・Writingを先にやる)5末のテストで90点は超えたい。

6月:ボキャビルと問題演習の継続6末のテストで100点を超えたい。

7月:GMATの勉強開始。

8月:GMAT勉強

9月:GMAT勉強

10月:GMAT勉強

11月:エッセイ開始(ここら辺で点数が出そろってれば、職場の上司・先輩・前職の上司にエッセイを依頼)

12月:エッセイ+インタビュー準備

1月:エッセイ終わり+インタビュー練習

2月:出願+インタビュー練習

 

とにかく、テストのスコアメイクを出来るだけ早く終わらせることが寛容。

はっきり言って仕事も忙しいので、効率的にしなきゃ終わらない自信あり。

まずTOEFLに集中。5月末・6月末に最低一度ずつは受ける。

 

誰も自分に勉強を強制してはくれないし、はっきり言ってインドは勉強するのに向いている場所ではない(友達や遊ぶ場所がいないという意味ではむいてるか。。)

だからこそ、自分の意思でやり続けることに意味があるのだ。

さ〜てがんばりましょ。

 

”広い世界を見るのだ”と思ってはや18年。やりたいことはやりきる。

この数ヶ月結構怒濤の日々をすごしていました。(主に精神的な意味で)

 

・大好きな親友が市長になりました

分かりやすく自分の夢を叶える一歩を踏み出した彼に心からのお祝いと、少しだけの嫉妬を覚えた。同時に、数年後彼と再開した時に、まだおれたちはソウルメイトだよねって言えるかと、お互いに尊敬の念を持ち続けられるかと、そういうことも考えた。
おれはいつだって彼を尊敬しているし、同時に彼からも尊敬をされるように自分を磨いて生きていく。そういう宣言。

・初恋の女の子と飲んでたら猛烈に日本に帰りたくなった
先月、日本で初恋の女の子と数人の友達と飲んで。金曜日にいけてるレストランで美味しいものを仲間と食べて酒飲んで、週末は趣味に没頭。そんな日々も良いよなあって思った。
全部インドだとほぼ不可能。美味しいレストランもないし、いけてる友達もいないし、もろもろもろ。で、2週間海外出張に行ってたこともあり、身体がぼろぼろで、精神的にも落ち込んでたみたい(というか身体の影響だな)で、すっげー日本に帰りたくなった。猛烈に転職サイト見たり知り合いの人材会社に連絡したり。ま、海外進出周りならなんとか仕事できるし給料もあげられそうだな〜って思ってた。

で、最近やっと疲れが取れて来て、思った。
全然やりきってないじゃんインドでって。コンサルとしてもまだまだひよっこだし、この組織の中で何をやり遂げたんだと?そんなやつが、どの顔して日本に転職するの?自分に恥じることはしたくない。
他人に恥じることは別にしてもいいけど、自分が納得しないことはしない。自分が納得したことをするのだ。

 

・でMBA行こうと思ってる。欧州のIMD
これは4年くらい前、前職の外資系メーカーにいた時も考えてたけど、あの時より今のほうが、「今しかない」感とか、行く理由がはっきりしている。
自分のキャリアをもっと、グローバルに寄せる。そしてリーダーシップ教育を受ける。
外資系企業の現地採用(日本)も、日系企業の現地採用(インド)も経験して思うのは、どっちも所詮ローカライズされた仕事だということ。
世界的企業の本丸で働いてみたいということ。そして、それをするのにMBAはチケットとしての価値がある。今の仕事をあと10年必死で働いても欧州企業の欧州本社で上り詰めることはほぼ不可能。でもMBAとればそのスタートラインには行ける。

 

・というか単純にIMDに行きたいというあこがれ
前職の時の先輩に教えてもらったIMD。めちゃくちゃ気になってる。
その後、組織開発のコンサルティング会社で、いやってほど、Be Yourselfであること、リーダーシップ、については考え続けた。その中でも好きなのはAuthenticであること。
今もそう。MBAでありながらそのリーダーシップにフォーカスしていることにとても興味を覚える。

また、僕は”グローバル”な人間って、色んな国に友達がいる人だよなって思ってて。これは何かというと、具体的な話を書く。
仕事でインドネシア行った時に同い年の通訳と仲良くなって、その後もたまにやり取りしている。その後、インドネシアで大きな地震があった時に、凄く彼女が心配になったし、彼女の周りの人も心配になった。
その時ふっと、「これがグローバルな人間ってやつじゃね?」って思ったんだ。だって、世界中でこれだけ悲しいことが起き続けているのに、(この前UKでも痛ましいテロがあった)全然関係ないって思って、というか意識もしないで人は生きていけるんだよ。でも、おれはそれじゃあこの悲惨な世の中は変わらないと思う。
身の回りの範囲が世界になった人が100万人いたら、世界中に友達がいてビジネスでも結果を出せるやつがいっぱいいたら、世界は変わるんじゃないかな?そしてそのためには、そう思うことが出来るだけの余裕や能力がある人、つまりオレがなるしかないんじゃないかな?って思ったんだ。

 

支離滅裂だけど、そんなことを考えながら日々過ごしている。
あとで、2017年度の仕事/生活についても考えを書く。

 

『異文化理解力』感想。自戒を込めて、どの文化も自分が正しいと思っている。

いまさらですが、読みました。

インドで、日本人の僕は、コンサルトして、働いています。
クライアントは日本企業かインド企業がほとんどですが、プロジェクトでは、東南アジア/アフリカ/アメリカ/中東まで範囲にしています。
言ったら、日本的なグローバル社会人なわけです。

 

で、そんな自分は、こんな本に書いてあること、日常生活でわかってんじゃねーの?と思いながら読み始めたのですが。。読み進めていくうちに、何というか、自分を恥じることがいくつも思い出されました。

一番分かりやすいのは、時間に関してだけど、僕もどうしても、時間厳守はグローバルルールなのに、なぜインド人は守れないんだろう?と不思議で不思議でしょうがありませんでした。

また、ハイコンテクスト/ローコンテクストに関する違いも面白い。
ハイコンテクストな社会とは、会話の空気を読む必要がある社会であり、歴史的に同一な人々によって成り立っていることが多い(日本もインドも)
一方、ローコンテクストは社会では、会話はすべて「表現された通りに受け止められる」し、「表現されていないことはないものと同じ」という特徴を持つ。
面白いのは、下記3種の会話では、Bよりも、Cの会話のほうがより、噛み合ないということ。よって、多分化な人々と話す際は互いがローコンテクストな会話(必要充分なことを話す)必要があるということ。インド人/日本人は共に、極めてローコンテクストな文化を持ち、かつ、異なる文化を持っているので、肝に命じたいと思う。
A:ローコンテクスト同士(国は違う)の人々が話す
B:コーコンテクスト文化の人と、ハイコンテクスト文化の人が話す
C:ハイコンテクスト文化同士(国は違う)人々が話す

少し、話は変わるかもしれないが、我々コンサルタントが作る資料というものは、ローコンテクストな文化に最適化された文書の最たるものだとすら感じる。常に先輩からは、いつ(後々プロジェクトを見られることはある)誰が(発注者から何度も何度も転送される)どのように(読み方は文化、個人差が激しい)読んでも、同じように理解されるように書くべきだと、しつこく教えられる。
面白いなあ。


思考が飛ぶが思いついたので自分の幼少時代について。僕は、幼少期をアメリカで、その後小学校からは日本なので、感性としては日本人的であるべきだと思うのだが、いちいち自分はアメリカ的(ローコンテクスト)な所もあるなあと思っていたが、ふとその謎が解けた。僕の兄はアメリカで小学校時代を過ごしており、彼とあまりに長時間一緒にいすぎて、会話しすぎて、説教されすぎたせいで、僕は学校では日本式、家庭(兄)ではアメリカ式の教育を受けていたんだと気づいた。なるほど。だからか日本の学校にはなじめなかったし、社会人になってからも米国の会社やコンサルタントという、極めて西洋的かつローコンテクストな企業体で働いている。

話を本書に戻す。

もう一点、個人的に面白かった(日本とインドの違いと言う観点で)は、
日本人は物事を進める際に極めて合意思考が強く、インド/中国はトップダウン式であるということ。
これは、インド企業と働いた時に嫌という程感じた。あるインド企業の社長と、彼の右腕/左腕と仕事をした際、彼らと私たちが何度合意しても、最終的には社長の鶴の一声で結論が変わった。こっちからしてみれば、社長だけが決めるなら彼の部下に話す必要はないだろうと感じたが、彼らの中では、社長は絶対であり、その前に部下が外部機関の提案を精査するのは当然のようだ。


仕事で相手を信頼する方法に関しても面白い。この本には何度も書かれているが、大事なのは絶対的な意味での尺度ではなく、他の文化と比較したときの相対的な尺度であるということ。
日本もインドも絶対的な意味では、信頼関係を気づくのが関係ベース(個人を知り合うことが重要)であり、タスクベースな文化圏ではない。
しかし、インドから見ると日本は、タスクベースな文化圏に写る。つまり、インド人の同僚からすると我々日本人は仕事でしかつき合わない人々で、中々信頼するのが難しいと写っていることが分かる。

同様に、「見解の相違」への反応として、日本もインドも同様に「対立回避型」だと言われる。しかし、日本が極端に「対立回避型」であるから、我々から見るとインド人は「対立型」にみえる。事実、のべつくまなく議論を交わしている姿を見るたびに、日本人である我々は、またやり合っているなあと思ってしまう。しかし、世界的に見ると、イスラエル/フランスのような国は比べ物にならないほど「対立型」の国である。

これらの面白いトピックを読み終えて僕が今思うのは、日々の生活で学んだことを活かしていくことだと感じる。Amidさんが何かを言った時に、反応的にいらっとするのではなく、互いの文化圏の違いに目を向け、優しくなろうと思う。