Dai's Great Adventure

30歳、インドで働いています

コンサルがインドに住んで10ヶ月。今おもうこと。

久々に文章を書きます。全然考えがまとまらないので、つれづれなるままに。コンサルが雑然と何も考えずに文章を書くなんてとても恥ずかしいと思うほどには、僕もコンサルトしての姿勢が身に付いて来た。

 

1.いなくなった親友を思う(Lost in Time『旅立ち前夜』を聴きながら)


旅立ち前夜



この4ヶ月以上、同じことばっかり考えている。親友でもあり同居人でもあり同僚でもあったやつがインドを去って2週間が経った。というかまだたった2週間しか経っていないことに驚いた。


大学時代の女友達は、今回の僕の喪失感を例えてこう言った。


「今までの彼女と別れたとき以上のショック受けてるじゃん。今回の友情は、大ちゃん史上最高の恋愛だったんだね」と。


大好きなマンガ「恋愛的瞬間」の2巻の一話目に忘れられない話がある。(※余談だがこのマンガは本と僕の人生5本の指に入る位の名作でしかもたった3冊なんでぜひ読んでほしい)

大学生の男子ハルタの、高校時代の親友との話だ。いやになるほどバカをやった親友って、この文を読んでいるあなたにも誰か1人位は思い当たる人がいると思う。そいつと環境が変わって徐々に疎遠になってく感じとか、久々にあっても昔のバイブスが甦る瞬間とかそうじゃない瞬間とか色々あるんだけど。その話の中で忘れられないセリフがあるので抜粋する。

吉野朔実『恋愛的瞬間』より)

森依「…恋愛は あらゆる抵抗に打ち勝つ相思相愛の力。友情は 相思相愛でありながら 抵抗によって達成できない疑似恋愛関係
ハルタ「抵抗?」
森依「同性であるとか 既婚者であるとか 恋人がいるとか 顔は好みだが性格が気に入らない 性格はいいが肉体的には受けつけない等々 逆をいえば抵抗があるにもかかわらず気持ちのベクトルが向き合っている人間関係と言ってもいい」
ハルタ「友情は恋愛の一部ですか?」
森依「そうではないものを私は友情とは呼ばない」
ハルタ「じゃあ抵抗を克服すれば」
森依「恋愛になる可能性は極めて高いと言える」

(以上抜粋終了)

 


恋愛の終わりは、どちらかがどちらを好きじゃなくなるケースがほとんどだと思う。例えそれが、遠距離恋愛のようにきっかけが距離だとしても結論は「好きじゃなくなった」ってのがほとんどだと思う。それに対して、友情には終わりがないように感じられる。

感じられるだけで、僕は最近友情にも賞味期限というか、最もアクティブな時期というか青春期みたいなものがあると感じている。そしてそれは物理的な距離が大きなファクターである。今回の僕の友情の終わりは、同居人が同じ会社を辞め、物理的にも距離がインドと日本に離れるということで、僕らの青春期は終わったんだと思う。

僕は小さな頃から何度も転勤・転校を繰り返していたので、この感覚を知っているし慣れている。でも今回のは特別つらい。それは異国で暮らす僕にとって彼の存在が、戦友とか親友とかっていう意味で心の支えになっていたからだと思う。誤解を恐れずに言うと、僕にとっては本当に今回の友情は特別なモノだった。今まで彼ほど僕が心を開いた友人はいなかったかもしれない。二人でいた時の、あの気を使わない感じ。バカ話をしたら毎日深夜25時だったあの感じってなんだったんだろうなあ。今思ったら、これくらい対等に親友って思えたのは、他には兄くらいかもしれない。
自分を分析すると、これは僕のリスペクトの問題だと思う。人を見定める際に、相手が自分より劣っている点を見てしまう。それは学力かもしれないし、人生全般への考え方かもしれないし、今までの人生の選択かもしれない(もちろん、こんな考え方は非常に差別的だし勘違い甚だしいと思われることは承知で書いている)
リスペクトができてかつ、一緒にいて気が楽な人間が身近にいなくなることのストレスが大きくて、正直、情緒不安定な日々が続いている。

 


結果として、毎日泣き明かしているかというと別にそんなことはない。
むしろ、以前よりよっぽど活動的だし、自分の意見も積極的に伝えるようにしている。
実際、上司からも「あいつがいなくなってから、やけに自分を出すようになったよね。いなくなったほうがよかったんじゃね?」

と言われたくらいだ。このセリフは冗談だとしても全然笑えないが、それは置いといても、外から僕が積極的に自分を出すように見えるのは事実だと思う。

 

自分もそれにはものすごく自覚的である。それはなぜかと言うと理由は2つある。

1つ目は、僕がこの会社/インドにいる時間は限定的だと、より意識するようになったから。(そもそも人生は限定的な時間なんだけどね)
有限の時間(インドに関して言うと残り2年ちょい)を僕はどう過ごすのか?

思ったことを言って過ごすのか、裏でぐちぐち言うのか?
やったほうがいいと思うことをやらずに、「あ〜やっときゃいいのに?」って傍観者を気取るのか?

僕は後者を取る。それが、一時的には自分にネガティブに影響するとしても、僕は自分が正しいと思うことをする。

 

2つ目は、去った友人によくフィードバックされていたから。彼から「大さんは大体いつも意見があるし、正しいこと思ってるんだったら言えば良いじゃないですか?なんでいつもあんま言わないんですか?」って言われてたから。
正直言うと、僕は、波風を立てるのが好きではない。人がイライラしているのとかも苦手だ。

でも、言わないで後で後悔するのはもっと嫌いだ。

彼のフィードバックを受け入れることは、僕の中に彼が残ることだと思う。


というわけで、親友が去って辛いという気持ちを抱えながら、日々アクティブに過ごしている。


最後に、「別れ」について、二ヶ月くらい前に読んだ、瀬戸内寂聴さんのエッセイにこんな文章があった。今の自分の気持ちをこれ以上ない位ぴたりと表現してくれているので、抜粋してこの文章を終わる。

「自分が数々の出逢いによって得た想い出の豊富さを思いかえす時、出逢いの相手の中に、自分がどういう形でつなぎとめられているかを自然に考えずにはいられない。
(中略)
数々の出逢いに怖れず直面し、出逢いの重さと神秘に勇気を持って当たった人間には、少なくともその相手にだけは自分の生きていたしるしを刻みつけることが出来たといえよう。」

「私の望むと望まないにかかわらず、人を愛した以上は必ず別れは訪れるものだ。人は別れるために出逢うのであり、出逢うために生きるのである。私が生を終わらないかぎり、私はまだこれからも人に出逢うだろう。そして性懲りもなく、別れをくりかえしていくのだろう。」

 

ひとりでも生きられる (集英社文庫)
 


(別れについて追記:過去の自分のブログより抜粋。今読むと恥ずかしいが感慨深いものがある)

昔好きだった詩にこういうものがある。
「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしてくれ、花に嵐のたとえも在るぞ、さよならだけが人生だ」(井伏鱒二


アンサーソングとして、こんなものもある。

「さよならだけが人生ならば、またくる春はなんだろう、さよならだけが人生ならば、めぐりあう日は何だろう、さよならだけが人生ならば、人生なんていりません」(寺山修司


僕の今までのスタンスは前者だった。どうせ人生において人は一人で生まれ一人で死んで行く。そんな中でさよならを前提として、人と付き合い、自分と付き合い、人生とつき合って行けば良いやという厭世観にも似た感情があった。

今、ふと思い出して思うことは、自分の”あり方”の変化によって、今の自分のスタンスは後者になった。
さよならだけが人生じゃない。この春を、この出会いを、この一瞬を、祝う。ただそれだけだ。一瞬の結びつきが永遠の結びつきになることを今の僕は知っている。いま、人が決めたこの時間の中にある生が終わっても、終わらないものがある。

雨が降っている、ここから僕の人生はリスタートだ。人生は終わらない。人生はさよならだけじゃない。人生は出会いに満ちあふれている。人生は愛と力だ。そして人も。 

 

 


長くなったので他のことは次回以降かく。

2.インターン生のメンターになって

3.将来について

4.女性関係

5.インドのあるスポーツサークルに参加しての雑感

決別宣言

今までの自分に。

そんなことは簡単にはできないと知っている。ただ、人生には何度もそれができるタイミングがあって、大事なのはその波に乗ることだっておれは思う。

 

年末年始もそうだし、誕生日もそうなんだけど、自分の目の前のことだけじゃなくてちょっと昔のこととちょっと先のことを考えられる時間がある。

運良く僕にもそれがやってきた。

きっかけは親友との別れ。家族以外のヒトで一緒に住んで心地よかったのは初めてだった。

毎日、会社から帰ったらくだらない話を1時過ぎまでして、時には2時3時まで酒飲んでお決まりのYoutube見て爆笑して、週末は一緒にスタバに行って別々の作業をして夜はまた酒飲みながら飯を食う。こんな仲良くなれるとは想像もしてなかったから本当に心地いい時間だった。

いつか別々の道に進むことは知ってたけど、実際にそれが来て、彼が去った。寂しいって気持ちはある。悲しいって気持ちもある。でも、同時にこれは自分にとって新しい旅立ちなんだなってことも分かった。
彼との別れを利用して今までの自分との決別宣言。もしくは、なりたい自分を描く。

・夜更かしよりも朝早く

・深酒よりも深い睡眠を

・身体に気をつけて運動する

・定期的に母親に電話する

・毎週Economist読む

・日曜日は翌週の準備

・自己研鑽の読書を書かさずに。せめて週に一冊は読む

Googleよりも読書

・毎日、毎週、毎月、四半期、一年、自分の成長を振返る

やりましたリストかいてみた。

ネットをふらふらとしていて読んだこのブログから。

 

y-matsue.hatenablog.com

 

で、この一年を振返って「やりました!」と言えることを書いてみた。

 

・どベンチャー企業で働いた

・やってみたかった組織開発を仕事にした

・親との時間をだいじに過ごした(鎌倉行ったり、お寺行ったり)

・独立してお金を稼いだ

・一人じゃなくてヒトと事業をやるほうがいいなって分かった

・インドに引っ越した

・戦略コンサルタントになった

・英語で仕事をした

・定期的にEconomist読んでる

・親友が増えた(最高のルームメイトでした)

・定期的に部屋をキレイにする習慣がついた

・毎日ヤクルトを飲んでる

・スクワット続けてる

 

うーん、もっともっとやりたいことあるな。

楽しんで生きていこう。

 

 

 

中途半端に時間があると将来とか考えてしまうのでここに書いておくかと。

インドに来て、もうちょいで半年が経ちます。

生活には慣れたし、会社のヒトとも仲良くなった。仕事も前よりは自分で仕切れるところが増えて来たし、成長曲線はいい感じ。

ただ、いーーーーっつも僕は目の前の今年か考えられなくて、当面思ってるのは、ヨーロッパで大学院行きたいなあってこと。人生の目的とかよくわかんない。

まったりした日々よりもヒリヒリした日々を過ごしたいと思いつつ、生きている。

全然満足感とかないんだけど、これで人生進んでいっていいのかな〜という言いようのない不安がある。

目の前の課題をこなしていって、金貯めて、34までに大学院に行く。ぜんぜん楽しいと思うし、後悔もしないと思うんだけど、人生の目的とかってないもんなんだっけ?とたまに思う。

 

自分の売りとか

自分が外に売りたいものと、実際に周りから見た時の自分の売りは違う。

例えば僕だったら、知的とか素敵とか思われたいけど、周りから見られるのは純粋とか優しいとか繊細とか天然とか。これって全然ちゃうやん。

今までは自分の打ち出したい物を打ち出そうとしていましたが、どうやら難しいらしいので、周りから思われることを打ち出そうかと考えてます。

同居人から、僕のやり方では彼氏がいる女の子の恋愛相談に乗ってるうちに仲良くなる作戦を伝授されたので今更ですがこれで行こうと思います。

23時にご機嫌でパスタを食ったら、朝から体調が悪いでござる。

体調管理マジだいじだな。

 

24時までには電気消す。

PC見ない。

夜もの食べない。

目覚ましかける。

 

これを身につけるのに30年以上使ってます。。

何が変わったわけではないのに生活が楽しくなった。

仕事/生活が楽しくなって来た。

なんでだろ?

 

考えられるのはこんなとこかな?

1)半年たって、インドでの生活・コンサルとして働くことという2つのチャレンジに慣れて来た。これはあると思う。

2)自分がプロジェクトの中で、少しでも価値を発揮できていると感じられるようになった。自分にもできることがあるってのはうれぴーですな。

3)お部屋をキレイにしたから気持ちがいい。これは普通に気持ちいい。あとはメイドさんに来てもらえると助かります。

4)ハンターハンターが復活した。冨樫がやってるのにオレがやらないわけにはいかないよ。

5)プロジェクトの残タスクが2つ終了した。結構大変だったんだけど、ってか最初は無理なんじゃない?とか思ってたんだけど、なんとか乗り越えられた。この自信もあるかもね。

 

理由はなんでもいっか。

安請け合いはしない、いい人ぶらない、なにをすればエフェクティブか。頭にいれとこ。

 

これから、同僚とももっと仲良くなる。昔もそうだけど、話したい人とはランチ誘ったり飲み誘ったりして、思想を共有する。

 

特に意味はなくても、生活が楽しくて、仕事してて充実してたら、言うことないよね。

あと、決めたこと。35で英国に行くんだ。

まじ意味ない文章だけど、自分の気持ちがいいのでここに書いときます。